乾杯!!卒業

正式にそーなりました。
天気はとても<祝い>の日とは思えないようなものでしたが・・・。



カッとなったので漫画を売りにいって約1700ゴールドを手に入れる。売ったのは、帯に「<国際政治>*1の教科書」と書かれているものとロウニンしていたときに買った<政治>話系のもの。
誰がこの「<国際政治>の教科書」で国際政治の勉強をしているのかは謎だが、私は、なぜか風邪をひいたときにコンビニでこれを買って寝ながら<国際政治>の勉強をしていた。なるほど、困ったときや邪魔者がいたら彼に依頼することにしようと思うと同時に消されないように気をつけなければと思う。どーやら<国際政治>はスゴイところらしい・・・。

*1:<国際政治>≠国際政治学

オルテガ・イ・ガゼット、神吉敬三訳『大衆の反逆』ちくま学芸文庫、1995


大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)


ただの大衆批判の本ではないと思いますね。てか国家についてこんなに熱く語っているとは知りませんでした。ごめんなさい。

「おまいら、優秀なんだからもっとちゃんとしてよね。」てことでしょうか。


■大衆人

大衆人は、偶然が彼の中に堆積したきまり文句や偏見や思想の切れ端もしくはまったく内容のない言葉などの在庫品をそっくりそのまま永遠に神聖化してしまい、単純素朴だからとでも考えないかぎり理解しえない大胆さで、あらゆるところで人にそれらを押し付けることであろう。・・・つまり、凡庸人が自分は優秀であり凡庸でないと信じているのではなく、凡庸人が凡庸たることの権利、もしくは、権利としての凡庸さを宣言し、強行しているのである。
p.99


■国家=運動

国家は一つの事物ではなく、運動である。国家はつねに・・・・・・から来て・・・・・・へ向かっていくものである。国家はすべて運動がそうであるように、起点と目標をもっている。・・・そこに血、言語、「自然の境界」などなんらかの物質的な特性を基礎としているかに見える一つの統一的共同体を発見するだろう。・・・ところが・・・彼らの統一の基礎のように見えた物質的な原理をつねに超克しようとしているのである。・・・その統一性は、まさに所与の統一のすべてを超克するところに存するのである。
pp.233-234

↓↓

国民国家を形成したのは血でも言葉でもなく、むしろ、国民国家こそが、初めに存在していた赤血球や音声の差異を平均化するものであるというべきである。
pp.238-239


◆ヨーロッパ諸国民国家(ネーション)の形成の3段階【pp.252-253】
①近隣者間の政治的、精神的共同体への融合化
②内部強化の時代。新国家(ステート)の枠外にいる他民族を異質化、敵視化、ナショナリズムの時代。ではあるが共存しているという現実の為に徐々に等質化していく。
③国家の完全な国内統合。昨日まで敵であった民族と融合するという事業の出現。新しい国民的理念の成熟。

『都市の論理』中公新書


都市の論理―権力はなぜ都市を必要とするか (中公新書)

都市の論理―権力はなぜ都市を必要とするか (中公新書)


都市は何も生産しないのに、農村などより飢えないのか。そこに権力関係を見ていく。
あ、そうだよねと思う反面、記述が一般むけなのでてんぽが早い早い。創文社から出てるやつを読めってことか。

若林幹夫『郊外の社会学』ちくま新書、2007


郊外の社会学―現代を生きる形 (ちくま新書)

郊外の社会学―現代を生きる形 (ちくま新書)


おもろかったのは、以前の郊外は「祭り」などの郊外の文化を作り出そうとしていたのが変化し、イルミネーションなどの家を飾る行為などの世帯ごとの文化へとなっていったということす。

ブクブク.。o○


学校内をうろついていたら、上でお世話になる先生があるっていたので話をさせていただく。
最初は、聞きたいリストどおりの質問をしていたが、そのうち聞きたいことを突発的に聞いていく感じになって自分でもテキトーな話の流れだなと思いながらしゃべっていた。この話についてきていただいた先生には感謝。

で、来年は○士は僕だけらしく、そして4月中旬に一発やってねらしく・・・。やりたいこと、書きたいことがブクブクな僕は、とーぜんブクブクな状況になっていきましたとさ・・・。

若林幹夫『都市への/からの視線』青土社、2003


都市への/からの視線 (青弓社ライブラリー)

都市への/からの視線 (青弓社ライブラリー)



論集。

「/」の使い方がいいな〜と思います。
レヴィストロースの文化人類学を下敷きに「都市」を論じていく。


ニュータウンの話が興味深かったです。
都市はいわゆる舞台みたいなもので、住人達は演者的なものになっていくとか思ったりします。その舞台は、資本制によって成り立っており、舞台だけあって舞台裏もあるがそれは「裏」なので「表」には現れてこない。その「現れ」方がまた舞台を成り立たせている。