野家啓一『物語の哲学』岩波現代文庫


物語の哲学 (岩波現代文庫)

物語の哲学 (岩波現代文庫)


アレントとリクールはつながったりするのかもしれない。


■物語文-物語

一つの出来事は、それに後続するさまざまな出来事との間に形作られる関係
のネットワークの中に組込まれることによって、次々に新たな意味を身に帯
びていく。物語文はそれを再記述、再々記述することによって、われわれの
経験の地平を幾重にも重層化していく役割を果たしている。その意味で、物
語文は現在のパースペクティブから過去を再解釈することによって歴史的伝
統を変容させる「経験の解釈装置」にほかならない。そして、時間に終結
がなく、歴史が未来に開かれているものである以上、物語文にも完結はあり
えない。リクールは「どんな物語文も後世の歴史家によって修正を受けるの
を免れ得ないのであるから、物語的言述は本質的に不完全である。」と述べ
ているが、この「不完全である」を「未来の可能性に開かれている」と言い
換えたとしてもそれは結局同じことであろう。
(p.89)

→物語文に関することは「物語」についての考察にもあてはまる。


■「語ること」:「経験」と「体験(規範化)」

知覚的現在の見聞臭蝕を「体験」と呼ぶことにすれば、「体験を話す」こと
は、今現在の知覚状況を描写し、記述することにほかならない。それに対し
て、「経験を語る」ことは、過ぎ去った体験をありのままに描写することで
はない。「経験談」、「経験豊富な人」、「学識経験者」といった日常表現
にも現れているように、経験を語るという行為には、単なる記述にはおさま
らないある種の規範的意味がこめられている。・・・過去の「経験」は現在
のわれわれの行為に指針を与え、あれを規制する働きを持つということであ
る。それゆえ、「経験を語る」とは、過ぎ去った体験をわれわれの信念体系
の脈絡の中に組み入れ、それを意味づけると共に、現在の行為との間に規範
的関係を新たに設定することにほかならない。
(p.114)


■体験+経験のネットワーク⇒記憶

一度限りの個人的な体験は、経験のネットワークの中に組み入れられ、他の経
験と結びつけられることによって、「構造化」され「共同化」されて記憶に値
するものとなる。逆にいえば、信念体系の中に一定の位置価を要求しうる体験
のみが、経験として語り伝えられ、記憶の中に残留するのである。・・・体験
を経験へと解釈学的に変形し、再構成する言語装置こそが、我々の主題である
物語行為にほかならない。それゆえ物語行為は、孤立した体験に脈絡と屈折を
与えることによって、それを新たに意味づける反省的な言語行為といえるであ
ろう。
(pp.114-115)

→過去の真偽の判定基準は?
 →事実との「対応」ではなく、他の諸々の言明との「整合性」、つまりは過
  去を語る「物語の筋の一貫性」なのである。(p.118)


■物語行為:「思い出」から「歴史」へ【思い出の歴史化】

思い出が歴史に転生を遂げるためには、何よりも「物語行為」による媒介が不
可欠なのである。思い出は断片的であり、間欠的であり、そこには統一的な筋
もなければ有機的連関を組織する脈絡も欠けている。それたの断片を織り合わ
せ、因果の糸を張り巡らし、起承転結の結構をしつらえることによって一枚の
布にあえかな文様を浮かび上がらせることこそ、物語行為の役割にほかならな
い。
(p.121)

→歴史とは「構造化」され「共同化」された思い出、すなわち「記憶の共同体
 」にほかならない。(p.137)
 ↓↓
 「思い出」の「歴史」化への契機:「言語化」「共同化」「構造化」(p.171)


■「物語り」のもつ根源的機能

理解不可能なものを受容可能なものへと転換する基盤である「人間の生活の
中の特定の主題への連関」を形作ることこそ「物語り」のもつ根源的機能な
のである。
(p.316)

→「物語り」を通じた「現実との和解」:アレント「過去と未来の間」