『支配の社会学Ⅰ』59【家父長制的支配と家産制的支配(p.143-)の続き】


ザーリエル朝諸皇帝時代のドイツ行政とその政治的権力地位
――教会領と特に司教たちの服従とを、その主たる基盤としていた。
  ―教皇空位になったプッリュンデに対する独立の処分権を次第に獲得していった。
   ―この過程がその絶頂に達したのは、14世紀の始め
   ―この頃には、プッリュンデは14・15世紀における「文化闘争」の対象になった。
    ―聖職者のプッリュンデ
     …宗教改革と反宗教改革とに至るまでの中世後期においては、その当時精神文
化の担い手であった階級の生存のための、物質的基礎に発展していた。
教皇
――修道士と並んで学問研究の維持と発展とに多大な寄与をおこなったところの、特殊な
中世的知識層の成立を可能にした。
――プッリュンデ授与に際して徹頭徹尾国民的相違を無視する態度をとることによって、
知識人のローマに対するあの激しい国民主義的抵抗を引き起こした。
  …公会議首位運動はこの抵抗の要素が多くある。


国王やバロンは、このような教会法の禁止にもかかわらず、聖職プッリュンデの処分権を
たえず繰り返し占取した。
…これを最も大規模に行ったのは13世紀以来のイギリス国王
――目的
  ―自分の役所のために安価で信頼のおける労働力の確保
  ―ミニステリアーレンへの依存からの解放
   〜ミニステリアーレンの勤務は世襲的に専有された家人領に固着しており、ステロ
化され、合理的な中央行政のためには役に立たなかった。
――国王
  ―教会に対するその権力−物質的な意義をもつ−によって聖職者たちに教会領からの
年金を与え、彼らは大量に古い型の官吏にとって変わった。
――大バロン
  ―大量のプッリュンデに対する、独立のあるいは国王から強奪した処分権を彼らの手
中にもたらした。
⇒大規模なプッリュンデ取引がはじまった。