谷澤正嗣「カント政治哲学の一解釈」


谷澤正嗣(1994)「カント政治哲学の一解釈-H・アレントの解釈と自由主義的解釈の架橋の試み-」
早稲田政治経済学雑誌320号、1994、1



『人倫の形而上学 第一部 法論の形而上学的原理』での法と国家の哲学を実践哲学を背景にした

自由主義の哲学的基礎付けの理論と解釈し、この解釈がアレントの洞察と整合性をもつこと、のみ

ならずアレントが見過ごした重要な意義を有することを示していく。

カントが「法」ないし各人の「権利」を中心に据えた自由主義的な政治をとりわけ立法・執行・司

法という国家の機能に即して構想したことには2つの意義があるという。

それは、1つは、法を通じてでなければ論じることの難しい問題が政治哲学にはあるという点、

もう1つは、法と権利が政治の原則となることで、政治哲学における2つの伝統の接合が可能になる

という点である。

カントのプログラムが個人や平等の権利への主張を真剣に受け止めつつ(自由主義的側面)、他方

で人々の公的・共同的な政治の営みを通じて(共和主義的側面)そうした主張を法の体系として形

成するものであるかぎり、それが与える示唆は依然として大きい。





『カントの法が扱う領域』

まず理性ある自由な主体(人格)として人間は、自分の行為を常に理性的な根拠に従って規律する
責任を持つ。その際行為をその内的な動機の面で規律することと、その外的な影響の面で規律する
ことの2つが考えられるが、カントによれば法は後者のみを対象とする。外的な行為における問題
は、万人が有限かつ唯一の地球で不可避の共存関係にある以上、各人の相互行為の衝突が避けがた
いということである。そこでこうした相互行為が法の対象とされたのである。…人間が可能な限り
争いを回避し、他人に支配されたり他人を支配したりせずに共同生活を営むことが《法の課題》で
ある。(pp.328-329)


『カントによる自由主義政治哲学の核心(国家の政治は自由で平等な個人の権利を守り育てるべき
であるというもの)への洞察の意義』

権利の担い手としての個人を…道徳的人格として捉えた点にある。これによって権利を諸個人のば
らばらな要求としてではなく、法と一体化した相互尊重のネットワークとして解釈し擁護すること
が可能になるからである。(p.331)


専制批判』

そもそも専制はなぜ「国民にとってきわめて危険」なのか。それは、専制は「臣民を誰一人として
国家公民(Staatsburger)としない」からである。ここにカントによれば国家公民の3つの資格と
は他人の恣意的な支配からの自由、法の前での平等、そして独立した国民としての投票権である。
したがって専制の問題点はこれら3つの資格ないしは権利が国民にみとめられないところにある。
…カントは国家の統合が国民の自己決定に服するべきことを求めているのである。それでは自己決
定とはなにか。それは自分自身の服する法律(法則)を、自分自身で決定することである。
(pp.341-343)