]『支配の社会学Ⅰ』59【家父長制的支配と家産制的支配(p.143-)の続き】


中世におけるキリスト教聖職者の生計の資
――土地プッリュンデまたは役得プッリュンデによってまかなわれた。
  ―司教が右の財産についての処分権をもっていたために、司教に対する聖職者
の完全な人格的従属を伴っていた。
   ―都市−都市は当時におけるキリスト教の担い手であった−を基盤とする古
代教会におけては、通常の形であった。
    →これは、官僚制の家父長制的変形形式である。


西洋においては、宗教の都市的性格は消滅し、キリスト教は、自然経済の状態にあ
る農村地方にも普及していった。
――教会:あるいは農民団体の、あるいは荘園領主の「私有教会」になった。
――聖職者:荘園領主の隷属民になった。
  ―俗人たる〔教会〕建立者や〔教会〕所有者
   :教会に定額地代や教区フーフェを与えた場合にも、建立者や所有者が教区
司祭の任命権をも、いなその罷免権すら要求するという結果をもたらした

  →これは、司教の支配権の深刻な弱体化と聖職者自身のもとにおける宗教的関
心の著しい沈滞化を意味した。
フランク時代
 ―司教たちは共同生活を再興することによって少なくとも聖堂参事会所属の聖職
者だけにはプッリュンデを与えないですませようと努力しているが、多くは失
敗に終わっている。
  ―修道院共産主義に代えて、修道士をプッリュンデ受給者に変え、また修道院
自体を貴族の扶養施設に変えようとする傾向に対して、修道院改革運動は絶
えず繰り返し闘争しなければならなかった。
  これに反して
  ―司教の方は聖職者の地位のプレベンデ化を阻止することはできなかった。
   ※プッリュンデと同じ概念
 −教会とその収入源とが私有教会として成立したという事情
  →生計手段を司祭の手中にある自由な官職財産としてとり扱うことを妨げた。
   ―教区の設定とともにプッリュンデが生じ、しかも、司祭がプッリュンデを
授与したのはそのほんの一部のみであった。
 ―西洋の新布教地域
  …プッリュンデ設定とプッリュンデ財産とは、有力な俗人寄進者によってまか
なわれたが、彼らは土地を実質的には自己の手中に保持しようとした。
   ←これは中央権力の優位権主張に対する司教自身の地位についても妥当する。
    ―司教たちは、教会を受け入れかつ規制した俗人支配者によって、最初はほ
とんど全く自由に任命され、また重要な腹心として政治的諸権利を授与さ
れていた。

教会階層秩序の発展
――分権化の軌道に滑り込んだ。
  …これは教会保護権の専有と教会官吏の俗人ヘルの権力への服属との軌道でもあ
る。
  ―教会官吏たち:俗人ヘルからプレベンデを受ける家付き司祭や、俗人ヘルの封
建的従士に成り始めた。
  ―書法を学び・しかもジッペのきずなから解放された聖職者を安価で適当な労働
力として求めたのは、決して封建諸侯だけに限らなかった。
   ―例えばヴェネツィアの海外行政も司教叙任権争いまでは、教会や修道院の手
中にあった。
叙任権争い
――都市官僚制形成の上で1つの時期を劃したものであった。
  ―国家と教会との分離の結果、今や、聖職者の誠実宣誓も、ドージェが〔聖職者
〕選挙のイニシアティーブをとり、選挙を統制し、選挙の結果を認可し、叙任
することも、廃されたからである。
  それまでは
  ―教会や修道院は、あるいは植民地を直接賃貸して管理し、あるいは少なくとも
事実上植民定住の中心点を形成し、対内的には仲裁裁判官として、対外的には
利益代表者として機能していた。