ジョージ・L・モッセ(1975=1994)『大衆の国民化』柏書房



読みますた・・・。

19世紀初期に差し迫った問題としてでてきたもの。

「新しい政治」によって大衆の願望を具現化していくことによって、大衆の国
民化(国民主義化?)していく様子が書かれる。
そこでは、様々なもの(公的祝祭(演劇・大衆運動)、体操家、男子合唱団、射
撃協会、モダンダンス)が動員され、内容的なものより象徴的なものが重視さ
れ、大衆の統一化、全体化への願望を充たすような様式を具現化していく。


大衆社会はたぶん前提なのでしょうか。
そして、その大衆の統一化、全体化への願望は前提なのでしょうか。
また、再読します。


■本書の論点

本書が取り組んだのは、まさに自己表現によって政治と呼ばれる得る「政治」
の把握である。・・・つまり、問題は、主権在民に基礎付けられ、すでにル
ソーとフランス革命以来、近代の中心課題の一つと認められてきた政治様式
なのである。すなわち、いかに民衆大衆を国民国家に取り込み、いかに彼ら
に帰属感をつたえることができるか、という問題である。
(p.3)

→「新しい政治」…シンボル、神話、大衆的示威運動が政治的祭儀としての役割
        を演じる。
 ⇔議会や選出された人民の代表者


■大衆政治

大衆運動の成長した時代において、「新しい政治」は大衆を組織する方法、つ
まり混沌とした群集を大衆運動へと転じさせる方法となった。・・・「新し
い政治」は、むしろより恒久的な願望へ訴えた大衆政治の形式であった。ま
た、神話、シンボル、そして審美的政治でその願望を実体化しようとするも
のだった。新しい政治様式は、統治者と被統治者をつなぐ代議制議会統治の
ような媒介的制度に取って代わろうとした。
(pp.222-223)

→そこでは「聖なるもの」が重要。