David Owen 89
第一章 カントと成熟の問題(p11-)
カントと啓蒙としての成熟(p11-)
カントの啓蒙の問題:「人間が自ら招いた未成熟から抜け出ること」
―未成熟:「他人の指導がなければ、自分自身の悟性を使用しえない
状態」
→導入部:啓蒙精神の積極的定義で結ぶ。
「あえて賢かれ!『自分自身の悟性を使用する勇気をもて!』ーこれが啓蒙の標語である」
主たる関心
・啓蒙を可能にする条件とは何か
・その条件は当時の実際的状況とどのように関係しているのか
【啓蒙を可能にする条件】
個人の場合と公衆の場合との区別
――個人による成熟の二つの実現困難性
・大衆の怠惰と臆病
・少数の後見人による大衆的性格の意図的永続
――公衆…「公衆が自分自身を啓蒙するということになると、その方がかえって可能なので
ある、それどころか彼らに自由を与えさえすれば、啓蒙はほとんど必然と言って
よい」
―根拠:討論の自由がある場合、成熟に達した小数の個人が果たす触媒的役割が示す
理性の力という着想
理性の公的使用と私的使用との区別
――啓蒙が必要とするのは:理性の公的使用の自由のみ
→私的使用の制限…公共の利益
→個人:公共的目標を達成するための道具
e.g.「上官から、…命じられた将校が…その命令…議論し
ようとするなら…有害であろう。彼はあくまで服従せ
ねばならない。しかし彼が学者として…これらの所見
を公衆の批判に供することを禁じるのは不当である。
」