大塚英志『定本物語消費論』角川文庫

定本 物語消費論 (角川文庫)

定本 物語消費論 (角川文庫)

【目次】
1 物語消費論ノート
2 複製される物語
3 消費される物語
4 再生する物語
短い終章 手塚治虫と物語の終わり
補 都市伝説論


ビックリマンチョコ、同人誌、RPG、などを考察した消費社会論。

(かつての)問題意識としては『物語消費論』は「インターネット的欲望」に先行して

成立していた特定の環境下で人はいかに自らの情報を形成するかである。

この本が現在性をもつのは「インターネット的欲望」「おたく的欲望」がいかに管理さ

れ易いものであるかという視点が今日の批評に案外と欠落しているように思えるからで

あると著者はする。

インターネット的欲望のインターネット以前の姿をおたく的なものに見ることができる。
おたく的なものとは

ただ読者に専念するしかなかった受け手が、既存のコミックの設定やキャラクターを借用
して自作のコミックを描き、それを出版し、擬似的な作者になるという行動をとることが
可能になった。そこでもマスメディアという制度の私的なものへの組み換えとそれに伴う
情報発信の新たな形式が欲望され、コミケという形で制度化されている。(p.322)

「物語消費」とは

送り手からもたらされる断片的な情報を想像力をもって接ぎ木し、更には「世界観」とい
う枠組みの中で限定的に「物語」を紡ぎ出すという新しい消費の形式(p.322)

これを80年代末の現像から抽出し、消費モデルとして提示する。

そこには受け手の中に芽生えた、送り手になりたいという新たな欲望を利用し、そのよう

な欲望に向けていかなる形態の商品が情報を発信すればいいのかという「大衆操作作術」

が存在した。


商品というものが<物語>との関係の中で消費されていく。今日の消費の局面においては

<物語>は2種類存在し、その両者の相互関係の中で消費が行われる。

2種類の<物語>とは

<小さな物語>:具体的な商品あるいは一回分のドラマ
大きな物語>:<世界観><プログラム><システム>
(p.14)

これまでは我々は<小さな物語>のみであったが新しい消費者は<大きな物語>をも消費

の対象として取り込みつつある。Ex:ビックリマン

このような<物語消費>を前提とする商品は極めて危うい側面がある。

それは

消費者が<小さな物語>の消費を積み重ねた果てに<大きな物語>=プログラム全体を手
にいれてしまえば、彼らは自らの手で<小さな物語>を自由に作り出せることになる。
(p.15)

ということである。

そこでは、<商品>作成と<商品>消費が同一のもの(消費者)によってされる局面があり

<商品>の送り手は商品の管理が不可能になる。

そこは

<物語消費>の最終段階とは、<商品>を作ることと消費することが一体してしまうという
事態を指す。(p.20)

生産者なき消費

人は<物語>を通じて世界に呪縛される。