『支配の社会学Ⅰ』その2

第2項 支配と行政、民主制的行政の本質と限界(p.16-)


「支配」がわれわれの関心を引くのは「行政(ファアヴァルトゥング):これは3つのものを含む、
方創造(立法)、法発見(司法)、公のアンシュタルト活動の中からこの2つの分野を控除した残余
の部分(政治的な「統治」をも含む概念)(pp.22-23)」と結びついている限りにおいてである。

いかなる支配も行政として現われ、行政として機能する。また、いかなる行政も、何らかの形で、支
配を必要とする。けだし、行政をおこなうためには、常に、何らかの命令権力が何びとかの手中に置
かれていることが必要であるから。(p16)


直接民主制的行政」には「民主制」とは必然的には合致しない2つの理由がある。
①この行政が、共同の事務を処理する上で、すべての人が原理的に同等な資格を持っている。
②この行政が、命令権力の範囲を極小化する。(輪番制、短い任期の選挙、抽籤制)
しかし、このような行政の中では職員の地位をめぐる運動が起こっている。
それは

単なるしもべ的事務執行から歴然たるヘルの地位に向かっての、不断の推移状態にあるということにな
る。(p.17)

職員命令についての「民主制的」諸制限は、正にこのような支配者的地位の発展を阻止しようとするも
のなのである。(p.17)

という2つの運動である。


直接民主制的〕行政が行われているのは次のような諸団体においてである。
1地方的、2少数の人々で構成される団体、3団体員の社会的地位が余り分化していない、4比較的単純で
安定的な任務、5手段と目的との即対象的(ザッハリッヒ)な考量と言う点で少なからざる程度の発達を
とげた訓練とを前提しているような団体。
このような輪番制、抽籤制、近代的意味における本来の選挙も、一つの共同体における職員任命の「原始
的」な形式ではない


直接民主制的な行政が存在しているところでは、どこでもそれは不安定である。
経済的分化が生じれば、有産者が行政機能をその手中におさめるチャンスが生まれてくる。
ここで有産者と職業仕事に従事せざるをえない人々が分けられている。
そこでは時間の犠牲が違いとしてあげられる。

彼らが「余暇があり」、行政を兼職的に処理してゆくに必要な暇を都合することができ、また、行政を安
価にあるいは全く無償で処理しうるような経済的地位
にある。という単純な理由によるのである。(p.18)

高所得それ自体ではなくて、とりわけ不労所得、あるいは間歇的な仕事によって獲得される所得が、右の優
越性を担っているわけである。


営利活動に従事している人々が余暇をもたなくなればなるほど、直接民主制的行政は、社会的分化が進んで
いる場合には、「名望家」の支配に移行してゆく傾向を、ますます強くもつようになる。
「名望家」とは、

(比較的)不労的な所得の所有者か、あるいは少なくとも、(彼らが職業活動をもっている場合には)彼ら
をしてこの職業活動と並んで行政機能をも引き受けえしめるような種類の所得者であって、しかも同時に、
このような彼らの経済的地位によって、彼らに「身分的名誉」のもつ社会的「威信」をもたらし、かくして
彼らを支配の座に就かしめるような生活様式をもっている−とりわけ不労所得の取得は、古来このような結
果を伴ってきた−ところのひとびとである。(p.19)

名望家支配の発展は予備審議団体の成立という形をとる場合が特に多い。この発展は地方的な共同体、した
がってとりわけ隣人団体においては、太古以来のものである。


初期の名望家は現代の合理化された「直接民主制」の名望家とは全く異なった性格を持っていた。名望家資
格は始原的には年齢であった。具体的には「長老」〔老齢者〕がある。これらは不可避的に「自然的な」名望家なのである。


しかし、年齢に認められる相対的威信は色々なものがある。
食料に関係する例、戦争状態の例、経験を重視するところの例
年齢そのもののもつ威信を剥奪することは、青年層の利益に帰するだけではなく、別の種類の社会的威信を
助長する結果になるのが普通
である。
「経済的」名望家


「民主制的」行政を獲得しまたは維持しようという合言葉は無産者、及び有産者(経済的には有力で、社会
的名誉からは閉め出されているもの)にとって名望家に対する闘争手段になる。
ここで政党も問題になる。名望家は彼らの身分的威信と彼らに経済的に依存しているひとびとによって、無
産者からなる「親衛隊」(=政党)をつくり出しうる。

政党とは支配をめぐって闘争する組織であり、それ自体またその構造をはっきりと支配関係として組織しよ
うとする傾向を−この傾向がいかに隠蔽されていようとも−もっている。(p.21)


よって、政党間の闘争が始まると「直接行政的民主制」は「支配」を単に萌芽的にのみ含むにすぎないとい
うその特殊的性格を必然的に失う
ことになる。


本質的に同質的な生活からなる一つの統一体を形成していた仲間(ゲノッセン)たちが、このようにして相
互に社会的に阻隔していく。


「民主制」の概念は大規模行政が問題になる場合にはその社会学的意味をかえてしまう
大規模団体の行政の諸条件は、隣人団体的あるいは個人的関係に基礎をおく小さい団体のそれとは根本的に
違っている。
職員またはその一部分が事実上永続的に存在するということを、不可避的に助長しないではおかない。

行政目的のための−ということは同時に支配権の行使のためということであるが−特別の永続的な社会組織
的組織が成立する蓋然性が常に存在しているわけである。(p.22)

これは、名望家による「合議制」、一人の統一的長による階層性的な「単一支配権」のような構造もある。