大澤真幸(2006)「近代の彼方」『思想』、第988号(pp89-103)

何か丸山真男特集というものをやっていたので

久しぶりに購入。





丸山は近代というものをどのようにとらえていたのだろうか。

丸山は近代性の条件として2つの契機を想定している。

①能動的な選択と決定の自覚と承認という契機
②個人の恣意から独立した、抽象的で形式的な規範秩序という契機

である。

問題は2つの契機の間の関係である。ここには緊張関係と依存関係が存在するという。

著者はC・シュミットを参照しながら説明していく。

シュミットの「保守主義」は近代化の社会変動の帰結を、つまり伝統的な諸価値がもはや

効力をもっていないということを前提としている。

では規範秩序の効力の源泉になっているのか。それは、まさに選択がなされたという事実

である。

ここに我々が受け入れなければならない逆説が出てくる。

抽象的・形式的な規範は、私的な恣意から公共的な秩序を隔離するためにこそ、

整えられたのであった。だが、それが機能するためには、逆に、最高度の恣意による補完を、

つまりどのような伝統的な価値や習慣にも縛られていない偶有的な選択を、作為の一形態と

して必要とするのである。(p93)

ここで丸山の近代の2つの構成契機の間に錯綜した関係が出てくる。

それは、一方の契機(②:抽象的な形式的な規範秩序)のうちに孕まれる潜在的な可能性を

徹底的に追求したとき、それは自身を否定するような条件(①:まったく自律的な作為)に

よって支えられなくてはならない。丸山はここについては無頓着であったと著者はするのである。