芹沢一也「狂気と犯罪」、講談社+α新書
具合が悪い、だるい。なんでだこれ。
昨日、食べたお好み焼きが悪かったのかな。ちくしょー。
ということでこんなん読んでみる。
- 作者: 芹沢一也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/01/21
- メディア: 新書
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第1章 社会から排除される「狂気」(徘徊する浮浪者を排除せよ
文明と裸体の取り締まり ほか)
第2章 「狂気」を監禁する社会(精神障害者管理は家族の責任
相馬事件というお家騒動 ほか)
第3章 法の世界における「狂気」の地位(死刑の光景
江戸時代の刑事裁判 ほか)
第4章 社会から「狂気」を狩り出す精神医学(法律の消滅を夢想する刑法学
刑罰が癒す「悪性」という病 ほか)
第5章 社会と法の世界から排除される「狂気」(「精神衛生法」の制定
精神病院ブームへの公的援助 ほか)
精神障害者たちがどのように社会からも法の世界からも排除されてきたのかを
歴史や思想を通して検証していく。
まず、権力側が行ってきた排除の歴史は何を契機にいつ始まったのか?
それは、外国人の視線を契機に明治時代から始まった。
「文明」国を目指した日本は外国人の視線を気にした。
四民平等で全ての人間が「国民」となった明治期(P29)では一人一人の行動や生活様式が
1つの日本のイメージとして外国人の視線にさらされる。
そこで、野蛮国と思われたくない政府は裸などの習俗を禁止し、また、
社会を徘徊する「狂気=精神障害者」の排除を始めたのである。
「狂気」の歴史を画することになった事件は3つあるとしている。(P58)
○相馬事件(明治時代)・・・・・精神病者監護法
○池田小学校事件(平成13年)・・・・・心神喪失者等医療観察法の成立
3つの出来事を通して
精神障害者の処遇問題は家から社会に移り
そのための法律が整備され、そして、「狂気」を監視する社会が姿を表すことになった。
また、その過程で精神医学も関わりを深めてきた。
「人間の誕生」も精神医学の関わりのを深めるのに一役かった。
江戸時代には犯罪者という人間はいなかった。そこには犯罪という行為と刑罰だけだった。
それに対して、近代は
その罪を犯した「人間」に対して多くの関心をつぎ込み、その人間の内面を解明しようとす
るのである。
精神医学の登場は精神障害者の社会からの排除と法の世界からの排除の2つの歴史を結びつ
け、精神障害者を潜在的な犯罪予備軍に仕立て上げた。こうして日本は精神病院列島と化し
た。(P213)
著者は精神の病を過剰な意味づけから開放し、「普通の病気」にすることが必要であり、
「狂気」の脱犯罪化こそが現在求められているとしている。(P215)