伝統の終焉、その後にくるもの


過去と未来の間――政治思想への8試論

過去と未来の間――政治思想への8試論

伝統が終焉し、もはや人々が伝統に反抗することも無くなってから、ようやく伝統の強制力の全貌が明らかになることもある。少なくともこのことは、余波として二〇世紀がこうむった形式的で強制的な思考の教訓と思える。(p.32)

形式的で強制的な思考:注釈→『全体主義の起原3 全体主義』(pp.290-293)


全体主義の起原 3 ――全体主義

全体主義の起原 3 ――全体主義

犠牲者と刑吏を仕立て上げるということは全体主義の支配方式にとって必要なことであり、…この訓練を行うのはイデオロギーそのものではなく、むしろすべてのイデオロギーに内在する演繹論理なのである。…「Aと言った以上Bと言わなきゃならない」という言い方で彼らの議論を固めることをとりわけ好んだが、…(p.290)
イデオロギーをテロル体制のおこなう圧迫のためのきわめてすぐれた準備手段として演繹的思考の自己強制は、この「Aと言った以上Bと言わなきゃならない」という思考方式のなかにみごとにあらわれている。(p.291)
…動員に際して全体主義支配体制が頼るものは、われわれ自身が矛盾のうちに自己を喪失することを恐れて自身に加えるこの強制なのである。どんな時にもわれわれの悟性の刃をわれわれ自身に向けさせることのできる必然的推論の専制はこの内的強制であって、この内的強制をもってわれわれは自分をテロルの外的強制のなかに嵌めこみ、この強制に同調させるのである。(p.291)
テロルの鉄の箍が、新しい人間が一人生まれて来るたびに新しい始まりがこの世に生れ一つの新しい世界が生ずることを阻止せねばならぬのと同様、論理の自己強制は誰がいつか新しく考えはじめることを予防しなければならない。…徹底したイデオロギー的思考の内的強制は、このように隔離された個人を、永久不変の、徹底的に論理的であるが故にどんな場合にも先の見えた過程のなかに引きずり込むことによって、この外的強制の効果を保障する。(p.291)
テロルの目的にかなった自己強制的な思考が現代人におよぼす大きな魅力は、現実おおび経験から解き放ってくれることである。…テロルの鉄の箍によって締め付けられながらも保護され、まったく抽象的な論理的推論の決してあやまつことのない一貫性によって駆り立てられながらもまた常にそれによって支えられている彼らには、その未来への行進のなかで実在する現実の世界との出逢いをことごとく拒まれているかわりに、また人間生活のすべての経験を−<無用なもの>や<有害なもの>をテロルの過程にゆだねることも結局は彼らの決めることだとすれば、自分自身の死の経験すらをも−彼らは免れているのである。(pp.292-293)