David Owen 91


自律・理性・歴史(p17-)


カントの小論…始まり:啓蒙と成熟(自分自身の悟性への信頼)の同一視
       終わり:啓蒙と「自由に行為する」能力の同一視
――はじめの定義:啓蒙を広い意味での自律(自己決定、自分で責任をとること)と結合
  後の定義:啓蒙を特殊な意味での自律(<道徳的自律>)との関係で位置づける。
  ―成熟(自己自身の意志の決定)と道徳的自律(道徳法の自己立法)の同一視の根拠
は?
   →カントの批判哲学へ


第三のアンチノミー…カント哲学の出発点の純粋理性のアンチノミーとの対立の内にある
もの
→議論の入り口を与える
 二つの論法:テーゼ:自然法則に従う因果性は唯一の因果性ではない。現象の説明は自
由による因果性をも想定する必要がある。
           →因果性:自由な因果性(第一原因、最終原因)の存在を要求
       アンチテーゼ:自由というものは存在しない。世界における一切のものは
自然法則によって生起する。
              →自由な因果性:因果性(原因=結果)そのものを掘り崩す。
アンチノミーの解決
  ―理性の別箇の二領域を設定
   ・理論理性の領域(自然法則で決定される仮象の現象界)
   ・実践理性の領域(自由の法に支配される物自体の叡智界)
  ―アンチノミーの相互排他性…理論理性がその限界を超えて、経験の境界を越えてしま
う傾向を持つために起きる。
   →しかし、
理論理性が知としての要求を正当になしうる範囲を確定する
→人は自己自身を既決定で感覚的な(現象的)客体として知る。
    →自由で知性的な(叡知的)主体として知る。