佐藤卓己『八月十五日の神話』ちくま新書


八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)

八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)

【目次】
序章 メディアが創った「終戦」の記憶(「八一五字の八・一五詔書」
セピア色の記憶―『北海道新聞』の玉音写真
八月十五日の九州飛行機工場
「玉音写真」がつむぎだす物語)
第1章 降伏記念日から終戦記念日へ―「断絶」を演出する新聞報道(「終戦」とは何か
勝者と敗者の終戦記念日
創られる記憶
「玉音の記憶」に根差す戦没者追悼式)
第2章 玉音放送の古層―戦前と戦後をつなぐお盆ラジオ(聖霊月と「八月ジャーナリズム」
玉音放送のオーディエンス
お盆ラジオの持続低音―甲子園野球と「戦没英霊盂蘭盆会法要」
玉音神話と「全国戦没者追悼式」)
第3章 自明な記憶から曖昧な歴史へ―歴史教科書のメディア学(国定教科書の混乱と検定教科書の成立
「終戦」記述の再編
記憶と歴史の対峙―一九六三年‐一九八一年
歴史家=政治化する記憶‐一九八二年以降
おわりにかえて―戦後世代の「終戦記念日」を!)


積読状態のを暇を見つけて読む。

よい本だと思いますが、歴史叙述が淡々と続いていく感じなので

刺激と言う意味での「おもしろさ」は感じられなかった。

ここでもMentalityは考察対象か。

戦後60年の今年を堺に実際の戦争体験者は急速に消滅していく。「明白な記憶」が消えれば
、「曖昧な歴史」が台頭してくる。自己に都合の良い歴史を望むのは、何も日本の保守勢力
ばかりではない。すでに、歴史は各国の利害がぶつかり合う戦場となりつつある。(p.223)

歴史教科書は、記述される過去より記述している現在の問題を映し出すメディアである。
(p.240)


過去も現在も写真はよーやりますね。