『支配の社会学Ⅰ』19【官僚制化の諸前提と諸随伴現象(p.73-)の続き】
法と裁判形式
厳密に形式的な法概念にもとずく「合理的」な法発見に対立して、神聖化
された伝統によって拘束されるところの法発見がある。
――後者には2種類ある。
(1)具体的な、倫理的またはその他の実践的価値判断にしたがって、非形
式的に解決する方法→「カーディ裁判」
(2)形式的にではあるが、しかし合理的な概念の下に包摂することによっ
てではなく、「類推」を援用し、また具体的な「判例」に依拠してこれ
を解釈することによって、解決する方法→「経験的裁判」
――(1)は具体的価値判断を基準にするので一切の伝統との予言者
的決裂にまで高まることがある。
(2)は1つの技術学にまで洗練され、合理化されることがある。
――一非官僚制的支配形態は方における厳格に伝統に拘束された
領域と、他方におけるヘルの自由な恣意と恩恵の領域との
独特の共存関係を示すものであるから両者の結合形態や過
渡形態が存在することがある。
ローマ法と資本主義
ローマ法の勝利≠資本主義の諸要求によりよく適合していたこと
――近代資本主義の法制度はローマ法には無縁で中世的
起源のもの
=ローマ法のもつ合理的形式と技術的必要性
技術的必要性
――法律事件の複雑化、経済の合理化によって自然発生
的に行なわれていたもの(具体的啓示、呪術的保証
による真相調査〔神判や宣誓〕)に代えて、合理的
な証拠手続きが要求された。
→合理的な訓練を受けた専門家の手に訴訟手続きを
委ねる。
学問的処理に堪えうる概念体系として、ローマ法の合理化が完成されたのは、
国家制度の官僚制化の時代に入って始めてであった。そして、この合理化こそ
、オリエントやギリシア世界が作り出した一切のものから、ローマ法をはっき
りと区別するところのものなのである。(p.97)