高橋哲哉『靖国問題』ちくま新書

靖国問題 (ちくま新書)

靖国問題 (ちくま新書)

【目次】
第1章 感情の問題―追悼と顕彰のあいだ(激しい遺族感情
一様でない感情の対立 ほか)
第2章 歴史認識の問題―戦争責任論の向うへ(共同体とその他者
「A級戦犯」合祀問題 ほか)
第3章 宗教の問題―神社非宗教の陥穽(感情の問題、再び
政教分離問題 ほか)
第4章 文化の問題―死者と生者のポリティクス(「伝統」としての靖国
江藤淳の文化論 ほか)
第5章 国立追悼施設の問題―問われるべきは何か(「わだかまり」の解決策
不戦と平和の施設? ほか)

2年前売れてた本。

色々、批判があるみたいだが勉強になる本だと思う。

軸になるのは靖国の論理というところだろうか。

戦死を悲しむことを本質とするのではなく、その悲しみを正反対の喜びに転換させようとするもの
(p.54)

「追悼」より「顕彰」を重要視するものであった。

このような感情の錬金術により遺族の感涙→共感→一般国民の一体感→動員というシステムができていた。

著者はこの「顕彰」の面を取り払わないかぎりどんな代価的施設も靖国的なるものになってしまうとする。

このことより靖国問題とは施設の問題ではなく政治の問題である。

非戦の意志と戦争責任を明示した国立追悼施設が、真に戦争との回路を絶つことができるためには、日本の
場合、国家が戦争責任をきちんと果たし、憲法九条を現実化して、実質的に軍事力を放棄する必要がある。
現実はこの条件からかけ離れているいるため、いつこの条件が満たされるのかは見通すことが困難である。
しかし、この条件からかけ離れた現実のなかで国立追悼施設の建設を進めるならば、それは容易に「第二の
靖国」になりうる。したがって、国家に戦争責任を取らせ、将来の戦争の廃絶をめざすのならば、まずなす
べきことは国立追悼施設の建設せはなく、この国の政治的現実そのものを変えるための努力である。(p.220)

政治の問題…。まーそれはそうだと思うのですけれども。

非軍事化…。