小菅信子『戦後和解』中公新書

【目次】
序章 「戦後和解」とは何か
第1章 忘却から戦争犯罪裁判へ(神の前での講和
揺らぐ忘却―制裁の登場、勝者が敗者を裁く時代へ)
第2章 日本とドイツの異なる戦後(ドイツの選択
不完全だった東京裁判、曖昧化する日本の戦争責任)
第3章 英国との関係修復(日英関係に刺さった棘
さまざまな和解のかたち)
終章 日中和解の可能性

忘却の思想から記憶の思想へ

ヨーロッパ中世においては戦後和解というのは忘却という面が強かった。

それは、キリスト教など共同の統一体を持っていたのと、国王=国家という枠組みで

あったからだ。

しかしながら、18世紀末-19世紀にかけて戦争中の悪行を講和と同時に忘却し許すという

伝統が崩れていった。

理由は世俗化、民主化ナショナリズム国際法の4つの要素に求められるとする。(p.22)

和解の例としてイギリスと日本、中国と日本があげられている。

イギリスと日本の和解はある程度進んでいる。

そこには民間交流と忘れないという記憶の思想が関係している。

記憶が和解を後押し、相互理解・交流を促進する。

中国と日本ではなかなかうまくいっていない。

近接するという地理的条件もそうであるが、国家の和解≠人民の和解ではないことも示される。

また、ナショナリズムが日本の植民地侵略との対抗と結びついて中国「国民」を形成している。

戦後和解には自由な言論空間、それを保障する民主制が必要とするが中国にはまだそれが形成

されていないとういハンデもある。そこが問題である。


「忘れ得ない、しかしそれでも…」か。