竹内洋「教養主義の没落」中公新書
- 作者: 竹内洋
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2003/07/01
- メディア: 新書
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【目次】
序章 教養主義が輝いたとき
1章 エリート学生文化のうねり
2章 五〇年代キャンパス文化と石原慎太郎
3章 帝大文学士とノルマリアン
4章 岩波書店という文化装置
5章 文化戦略と覇権
終章 アンティ・クライマックス
雨の日は家にいるに限る。ということで教養でもつけようかとこれを
本棚から取り出してきて一読(笑)
本書は教養とは何か、教養と社会の関係、日本による教養主義の変遷などを
日本においての教養主義は最初、平等化の役割をになった*2がそれが進むと
大学内で反教養主義の時代、レジャーランド化の時代という変化がおこり
衰退していったとする*3。
また、このような教養主義の終焉は特権階級的教養を放逐したが、
同時に大衆平均人(サラリーマン型人間像)文化と適応の文化(実用主義)の蔓延をもたらしたのでは
という。
*1:ハビトゥス:「生存のための諸条件のうちで或る特殊な集合(クラス)に結びついた様々な条件づけがハビトゥスを生産する。ハビトゥスとは、持続性をもち移調が可能な心的諸傾向のシステムであり、構造化する構造(structures structurantes)として、つまり実践と表象の産出・組織の原理として機能する素性をもった構造化された構造(structures structurantes)である」。ハビトゥスとは個々の行為や言説を生成し、組織する心的システム。社会的出自や教育などの客観的構造に規定された(構造化された構造)実践感覚であり、実践をみちびく(構造化する構造)持続する性向の体系である(p83)
*2:近代日本の教養主義は西欧文化の取得であった。日本人にとって西欧文化は伝統的身分化ではないから階層や地域文化と切断した学校的教養そのものだった。どのような階級からも遠い文化である。・・・それは障害は階級間で平等だった。(p187)