森村進『自由はどこまで可能か』講談社現代新書

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

【目次】
第1章 リバタリアニズムとは何か?
第2章 リバタリアンな権利
第3章 権利の救済と裁判
第4章 政府と社会と経済
第5章 家族と親子
第6章 財政政策、あるいはその不存在
第7章 自生的秩序と計画
第8章 批判と疑問



リバタリア二ズムとは経済的自由、個人的自由(精神的自由)の両方とも尊重するものであり

リベラリズムが多義的になってきてしまったこと(ex:福祉国家etc)にともなって出てきたものである。

リバタリアニズムは「いかなる国家(政府)までを正当とみなすか」と、

「諸個人の自由の尊重を正当化する根拠は何か」という2つの論点によって分類することができる。

前者の論点は

①アナルコ・キャピタリズム(国家を廃止する立場)

最小国家論(国家の役割を国防、裁判、治安、その他の公共財の供給に限る)

古典的自由主義(福祉・サービス活動も行う小さな政府)

後者は

自然権論(基本的な自由の権利、特に自己所有権に訴える)

帰結主義(自由を尊重する社会のほうがその結果として人々が幸福になるとする)

Ⅲ契約論(理性的な人であったならリバタリアニズムな社会の原理に合意するはずである)

というふうに分類する。

この2つの組み合わせによりリバタリアニズムは構成されるのである。(pp.21-22)

大きくいうと「自己所有、私的所有権」から様々な理論を構成していく。

政治より市場を信用する。

政治の領域はその目的が何であれ政府による強制を含むためその領域は狭く限定される

傾向にある。(p104)しかし、政治以外の領域がすぐに市場に同一化されるわけではない

そこには第3領域としてヴォランタリーな人間関係が存在する。(p106)

国家による介入は不正だがインフォーマルな社会的制裁は自由の帰結として正当である。(p109)

などなどリバタリアニズムの概観を見ることができる。

法理論なども入っておりなかなかすっとは読めないが興味深い書籍。