藤原保信『自由主義の再検討』岩波新書

自由主義の再検討 (岩波新書)

自由主義の再検討 (岩波新書)

【目次】
序章 自由主義は勝利したか
第1章 自由主義はどのようにして正当化されたか(資本主義の正当化
議会制民主主義の正当化
功利主義の正当化)
第2章 社会主義の挑戦は何であったか(政治的解放の限界
私有財産と疎外
市場経済と搾取)
第3章 自由主義のどこに問題があるか(社会主義の失敗
自由主義の陥穽)
終章 コミュニタリアニズムに向けて



自由主義を中心とした政治思想の入門書。


まず、自由主義の正当化の問題について論考する。


自由主義を構成する資本主義(私的所有と市場)と民主主義は最初(古代、中世)は


好意的には受け入れられてこなかった。


しかし、近代に入ると人間は自由で平等なものとしてとらえられるようになり


個人間の社会契約により社会が構成されると考えられるようになった。


そこでの利益を実現させていくものとして資本主義と民主主義は正当化させられたのである。


しかし、そのような自由主義的社会が実際に現れるにつれ矛盾(「疎外」など)もでてきた。


そのような矛盾を解消しユートピアを実現させるために社会主義が登場してきた。


しかしながら、その挑戦も失敗に終わった。しかし、この失敗は自由主義の問題を解消する


ものではなかった。次に出てきたのはコミュニタリアニズムであった。


これは、自由主義が個人と社会をはなして考えることに異議を唱え


人間は言語共同体などの関係の網の目のなかに存在し内的善*1を目指すべきものとしてある


というものであった(徳の定義もある(p191))。著者は特に最終部においてこの立場を支持している。


そして、経済の倫理に従属している道徳的空間*2と政治的空間*3を回復することが


必要だとしている。


『プロ倫』に通じているようなところも見受けられた。


行為の目的化、目的の行為化。自由主義の経済に対するところとか。

*1: 実践に携わることによってのみ達成されうるものであり、それ自身が目的たりうるものである。それは時に競争を刺激したとしても、その達成がその社会全体にとって善でありうるもの

*2: 善悪、正邪についての判断基準を提供するもの

*3: 積極的な問題解決のメカニズム