竹内洋『丸山眞男の時代』中公新書

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)


あの頃の話。
あのお方の立ち位置とその影響力の変遷。



■大正期の特徴

大正期の特徴について、日本史学伊藤隆は、単なるデモクラシーの擡頭というよりも左右をとわず社会改造を志向する「革新」の擡頭の時代だったという。大正時代をイデオロギーの内容(マルクス主義やデモクラシー)よりも、革新と反革新がないまぜになった現状打破の「革新」(内容よりも強度)の時代としてとらえている。橋川文三も、大正七、八(一九一八、一九)年という時期は、日本近代思想史のうえで「めざましい激動期」であり、内外におきた大変動に対して真剣に考えはじめた時期である、としている。ここで、伊藤や橋川の指摘をもう一歩踏み込めば、「革新」や「激動期」の時代とは、「熱狂」と「興奮」の時代である。左右のイデオロギーの沸騰だけでなく、興奮の坩堝の時代である。
(p.75)

→蓑田などの劇場型パーソナリティが許容される土壌


●敗戦直後のアンケート
 戦争に負けたときの感想:「後悔・悲嘆・残念」が30%、「驚き・衝撃・困惑」が23%


●「学生」の表象
 1960年代の学生像p144-


■ファッションとしての全共闘運動

・・・地方対中央やムラ対都市という近代日本の枠組みの終焉とともに、反体制運動の輝きと運動への献身がもたらした恍惚も霧散しはじめた。・・・だからこそ、1960年代後半かた1970年代初期の全共闘運動は、反体制運動が反体制運動であるだけでモダン=ファッションたりえない時代に、独自のファッション性をつくりあげたことによってもりあがりをみせたのである。それが、ゲバ棒、ヘルメット、覆面といういでたちや大学教授を引っ張りこんでの大衆団交、激しい街頭デモやバリケードによる祝祭空間である。全共闘運動は大学解体などの明示的スローガンとは別に、こうしたいでたちと道具立てで、演劇的空間が構成され、徹底的に楽しかったのである。

→1960年代半ばは、反体制運動がファッションたりえないほど、高度大衆消費社会になり始めていた。


■右翼と左翼の類似:アウトサイダーの攻撃

・・・あの全共闘による学園闘争の論理がこれまでみてきた戦前の蓑田一派の帝大教授糾弾と相似形であることに気がつくだろう。・・・大学知識人にとって原理日本社やそのシンパ学生からの糾弾と全共闘学生からの糾弾は機能的に等価だった。このような機能的等価性の背後には、攻撃者の知識人会での位置の相同性があった。・・・全共闘運動は蓑田的アウトサイダー意識が大衆的規模で生じたということになる。

→大学生がただの人やただのサラリーマン予備軍になってしまったことへの不安とルサンチマン(p.248)