■森川輝一(2000)「隣人の起原(1)-ハンナ・アレントアウグスティヌス解釈-」『法学論叢』
 Vol148、2号
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「隣人愛」の問題、即ち此の世界における他者の実在の意味を廻る問いなのであるが、・・・単独者としての自己の実在への問いが臨界に達する地点で、しかもその延長線上にではなく、全く異質な問いとして他者の実在への問いが立ち現れてくることに、アレントアウグスティヌスの思惟の核心―矛盾の「背後に存するもの」―を看取しようとするのである。(p.106)

他者が有する唯一つの意味とは自己と他者とが共に神の被造物であること以外には無く、「私は他者を世界の内での具体的な出会いにおいて愛するのではなく、他者の内なるその被造物性を愛する」ことで、他者を創った神の愛を愛するのである。(p.114)

■森川輝一(2001)「隣人の起原(2)-ハンナ・アレントアウグスティヌス解釈-」『法学論叢』
 Vol149、6号


・確信、信頼を通じた(知的な理解ではない)、歴史的なるもの、あらゆる人間的で時間的な出来事
 の理解。

・単独性と共同性という二重性

人間存在が孕む二重性、即ち「人間種族に属する者として」の同一性と「個が個である」という単独性とが此の世において結合されるとき、此の世における隣人の意義が立ち現れてくる。(p.35)

・赦し-約束

赦しとは、人々が各々の過去の負債―諸々の行為が残した過誤や敵意から、私的な出自や社会的位置の様々なアイデンティティの刻印まで―に由来するあらゆる自他の相違を超えて、公的人格(仮面)として互いの前に現れる各々の存在を承認し合うことなのです。(p.37)

赦しを通じて、人々は既存の歴史的共同体の自明性を揺るがし、その習慣に埋没して地の国の一部と化していた自己回復を回復する。(p.37)

赦しは、新しく出生するが故に如何なる隣人とも異なる単独者でありながら、死に至るまでの時間を此の世で送らねばならない点では如何なる隣人とも等しいという人間存在の二重の条件を、赦しの力の及ばざる根源的条件として開示するのである。(p.38)