渡邊二郎編『ニーチェ・セレクション』平凡社

ニーチェ・セレクション (平凡社ライブラリー)

ニーチェ・セレクション (平凡社ライブラリー)

【目次】
思想と生涯 運命愛の思想家ニーチェ
1 人生と思索
2 神の死とニヒリズム
3 力への意志と超人
4 運命愛と永遠回帰
補論 ニーチェ―生きる勇気を与える思想

セレクションという形ではこのようになるのですね。

断片を集めた感じで読みやすいわけではない。ま、ニーチェ自身が読みやすくはないというのもある。



「偉大さ」という概念

今日では、ヨーロッパにおいては、畜群ばかりが栄誉に与り、栄誉を分け与え、残念なことにあまりに
にも簡単に「権利の平等」が転じて、不正なことがらを平等で推し進める、ということになりかねない
状況である。不正なことがらを平等で推し進めるとは、あらゆる稀有なもの、見知らぬもの、特権的な
もの、高次の人間、高次の魂、高次の義務、高次の責任感、創造的な権力の充実、創造的な支配的態度
、などをみんなが共同して敵と見なすということである。(p.106)

ニヒリズム

ニヒリズム:最高の諸価値が無価値になるということ。
ラディカルなニヒリズム:最初から定立してかかる権利などわれわれは寸毫も所有していない、ということ。
ニヒリズムの極限的形式:あらゆる信仰、真だと思うあらゆる働きはみな、必然的に偽であるということ。
            なぜなら、真の世界などは全く存在しないからである。したがって、真の世界な
            どは、1つの遠近法的仮象であり、この仮象の由来はわれわれのうちに潜んでいる。
            ・・・どれほどまでわれわれは自らすすんで、仮象性や、嘘の必然性を承認して、し
            かも没落しないでいることができるのかは力の度合にかかっている

「学問、ディオニュソス

学問は、その強力な妄想に拍車をかけられて、とどまることなく驀進するが、最後には、自らの限界にゆき
つく。

永遠回帰、彼岸」

ニーチェにとって、「あるがままの生存は、意味も目標もなく、それでいて不可避に回帰しつつ、無に終わ
ることもない、すなわち<永遠回帰>」と感受され、「これが、ニヒリズムの極限形式なのだ、すなわち、
無が(無意味なものが)永遠に」と記されたときには以上のような、無駄、嘔吐、悔恨のすべての否定的経
験を籠めて言われていたと考えねばならない。・・・あらゆる出来事のうちに、「意味」を求めても、また、
統一的「全体性」を求めても、それは得られず、かといって「生成の全世界」の「彼岸」に形而上学的な「
真なる世界」を求めても、それは虚妄であることが暴露され、こうして、「世界の諸価値が無価値になるこ
と」としての、換言すれば、「<なぜ>への答え」が欠如した、「ニヒリズムの最後の形式」が生ずること
は言うまでもない。・・・彼岸に真なる世界を想定すること自身が、すでに、「無への意志」であり、「ニ
ヒリズム」にほかならないのであった。(pp.332-333)

他に動物としての人間(p319-)など

これらは一回受容しないといけない気がします。