姜尚中 「マックス・ウェーバーと近代」岩波現代文庫

マックス・ウェーバーと近代 (岩波現代文庫)

マックス・ウェーバーと近代 (岩波現代文庫)

【目次】
序章 いまなぜウェーバーか
第1章 西洋的合理化の起源―「古代ユダヤ教」に即して(宗教史的「脱魔術化」
「事象化」と「同胞愛」 ほか)
第2章 西洋的合理化と近代の時代診断―「近代西欧」の意味像(「高度資本主義」と「時代診断」
神中心の世界像と事象化の精神 ほか)
第3章 合理化と近代的な知のアポリア(「職業としての学問」をめぐる相克
学問の危機と危機の学問 ほか)
第4章 アメリカニズムの倫理と「帝国」の精神(ロシアとアメリアメリカ体験と「共和的な宗教」 ほか)

「プロ倫」を中心とするウェーバーの思考を検討しながら

近代とはどのようなものであるのかを考えていく。

近代は合理化により死を無意味化したり、真なるものの証明を難しくするのもであった。

それは、生の意味消失をも呼び寄せるものであった。

そのような「脱魔術化」において理解されたウェーバーの「近代」の認識は、

宗教的-形而上学的な世界像によって表現されていた実体的な理性が「認識の問題」(科学)、

「正義の問題」(道徳)、「趣味の問題」(美・性愛)の3つの領域に分化しそれぞれの領域が

「自律志向」を強めていくことにあった。(p149)

そして、そのような脱魔術化され超感覚的な価値の実体の黄昏を迎えてしまった以上、

それは何らかのアプリオリな意味の棲家であることをやめてしまっている。しかも世界像の

脱中心的-分化によってそれぞれの価値秩序が固有の妥当性要求をもって相争う事態、

「非人格化された」神々の闘争が、日常な現実となってしまったとする。(p216)

そこではニーチェの影響も見られる。

また、アメリカを訪問した際のウェーバーの感想も書かれている。

そこでは、アーレント*1やトクビルを引きながら問題*2と展望*3とが書かれている。

*1:「市民」ではなく、「人間」を解放したにすぎないことになる。「幸福の追求」という「貧民の夢」によって「アメリカ革命の夢」が裏切られ、政治領域全体が荒廃に追いやられている(p267)

*2:「知的探求体制」によるもの。「知的探求体制」とは、ヘーゲルの言う「精神の自己環帰」の極限的な携帯を意味しているのであり、それは、生産の規格化と外的生活様式の画一化を推し進め、「普遍的統一的な人格性の世界」を抹消していく「隷従の檻」以外のなにものでもない(p271)

*3:宗教的なエートスに媒介された自由な人格の理念と、それによって支えられる民主的共和制の革命的な理想(p272)