山脇直司『公共哲学とは何か』ちくま新書
- 作者: 山脇直司
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2004/05/01
- メディア: 新書
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【目次】 第1章 公共哲学は何を論じ、何を批判し、何をめざすのか 第2章 古典的公共哲学の知的遺産 第3章 日本の近・現代史を読みなおす 第4章 公共世界の構成原理 第5章 公共哲学の学問的射程 第6章 グローカルは公共哲学へ向けて
まず、著者は学問を3つの時期に分ける。
「プレ専門家時代」「専門家時代」「ポスト専門家時代」である。
そこで、19世紀後半(ウェーバーなど)から現代にいたるまでの時代を「専門家時代」とし
学問がタコツボ的な体制になってしまっているととく。
そこで、公共哲学は「学問の構造改革」(p38)を目指すものとする。
公共哲学の世界観とは「自己-他者-公共世界」からなるものであり、
そこでの公共性とは「政府を担い手とする公」と「民や人々の支える公共」とを
区別するものである。
NGOやNPOなどの地域的・市民的中間集団を基礎とした公共性を目指すものであり、
そこでの理想的世界観は多次元的な「自己-他者-公共世界*1」観である。
それは、自己が全地球と結びついているという「地球市民的自己」、国民的責任を担っていると
いう「国民的自己」、何らかの文化的背景を担っているという「エスニックな自己」、
地方自治体や企業、NGO・NPO、教会(あるいはそれに準じる共同体)、学校、家族などに所属する
メンバーとしての責任を担う「負担ある自己」等々にわたる、自己の多次元性を認識・了解する
とともに、「他者」の多次元性をも認識・了解し、さらに公共世界も、地球全体、トランス・ナショナル
な地域共同体、国、地方自治体、宗教、学校等々というように多次元的にとらえていく世界観であるとする。
(p218)
そして、「滅私奉公」の公共性から「活私開公*2」の公共性を目指すものなのである。
後半部はお勉強になった。
アレントとハーバーマスの考えは商業(経済)を生活世界から取り除くというところが似ているのかな。
多次元的な関わりというのはいいと思うがはたしてそこまでの責任が問われることを各人が了解できるのか
は少し疑問ですな。