今村仁司「近代の労働観」岩波新書

近代の労働観 (岩波新書)

近代の労働観 (岩波新書)

【目次】
第1章
アルカイックな労働経験(古代ギリシアの労働観アルカイックな社会の労働観)
第2章
初期近代の宗教倫理と労働(貧民の監禁と教育「貧しい人々」と「人間の屑」 ほか)
第3章
現代の労働経験(労働者の証言ドマンの解釈と「労働の喜び」論 ほか)
第4章
労働と対他欲望(対他欲望承認欲望のメカニズム ほか)
第5章
労働文明の転換(余暇の無為から多忙な勤勉へ勤勉労働への懐疑 ほか)



近代における労働経験とは何かを考察する書。

まず、そのために歴史的考察から入っていく。

古代ギリシアでは労働(手仕事)には軽蔑的な意味がつきまとっていた。*1

自由とは労働からの解放であった。

農業は呪術(祈り)と合体した労働の一種であった。

アルカイックな社会の労働は2つの意味を持っていた。

「仕事の審美的成就」と「仕事の慎重な運び」であった。美しく畑仕事ができる人は

道徳的に良い人であり、下手な人は反対の意味を持たされた。

この2つに共通することは労働が労働として突出しておらず生産活動は何重にもヴェールに

覆われていることである(p25)。

ところが近代に入ってくると価値が転倒し始める。

初期近代では都市的現象により出現した民衆*2を教育するにより

労働的身体を創出するところから始まった。

貧しい民衆は「貧しい人々」と「人間の屑」に分類され後者は教育としての

強制的労働を負わされた。17世紀〜19世紀までは労働は教育でもあり懲罰でもあり

宗教的ものでもあるいわば万能薬であった。

このようにして機械的身体が制作されていった。

そして「労働の喜び」論(労働意味論)も現れ始めた。

しかし現代における労働の例をみても労働自体に喜びがあるとは考えることは難しい。

労働の喜びなるものは他者の視線、評価によるものなのである。

承認の欲望は虚栄心を内在している。また、それは消費とも関わってくる。

つまり、人間の中には承認欲望が存在することになる。

ではこの欲望を実践的にはどうしたらよいのか?

著者は「私的な」ものから「公的な」ものに変換することが重要であるという。

そのために以前のような*3公共的価値討議の場が必要であり、

生きることの意味を考え、公共世界と歴史的世界の意味を思考すること、「よく生きる」こと

を考えるが重要であるとする。






現代にいおいては奴隷制は無理なのでその分技術革新で労働時間が減るといっているが

なかなか難しい現状があるのではないでしょうか。

消費社会では欲望を刺激するものはいたるところに溢れてますからね。

労働の変遷がわかる良い書であるとは思います。

勉強、勉強です。

*1:その背景には奴隷制があった。

*2:浮浪者、乞食

*3:古代、アルカイックな社会