押村高・添谷育志【編】(2003)『アクセス政治哲学』日本経済評論社


アクセス政治哲学

アクセス政治哲学


この頃、ボーっとして全く頭に入ってこない感があるが、よーやっと読み終わる。

やっぱり、政治学って「秩序」の創設、維持っていうのが重要なトピックなのだと思った。



■古代から近代へ

・・・古代・中世の政治哲学では、恒久的な真理・過去の伝統・天上の神など、人間の手の届かない一義的
価値の存在論に基いて絶対的な権威の源泉が探求された。これに対して近代以降の政治哲学は、権威の源泉
を人間自身のなかに求め、統治の基盤は、存在論的な権威から人々による正当性の承認へと移ることになる
。(p.60)


ポストモダン、「音声中心主義」

「音声中心主義(phonecentrism)」は18世紀のルソーの、「一般意志」(「つねに正しく、つねに公共の
利益を目指す(もの)」)は祭りや広場に集まった人々の声によって明言されねばならないという思想に
おいて頂点に達したといわれている。(p.100)

喝采主義の根源?全体主義的なもの。


モダンの根源としての形而上学
――形而上学:森羅万象の根底に、真実の存在としての完全無欠で不変なる根拠が厳然と存在すると想定す
       る哲学の様式。
  →特徴
   ・存在論
    ―≪在るもの≫には必ず揺るがぬ同一性をもった根拠・起原があるという信念
     →存在の根拠を同一性に見出す一方で、差異を同一性の欠如態として低く評価する。
   ・声における根拠の現前
    ―「音声中心主義」、パロール(自分が話す〔のを聴く〕こと)こそが真の存在の現前を可能にする
     と考える。エクリチュール(書かれたもの)はパロールの代理表象、偽者。
   ・規格化、同一性の強要
    ―ひとつのものの自同姓の中には、それがそれ自身と統合されているという関係があるがゆえに、
     同一性とはすでに差異を前提しての統一性を意味するという見解。


■古代のデモクラシー

個々人の集合体としての社会という近代的な考え方を持たないこの時代の民主制は、地域単位を基盤として
一定の富を有する相対的に同質的な社会経済的基盤と文化的一体性を共有する人によるものであり、民衆が
権力を持つという形式にとどまらない、いわば人間(自由民)の「生き方そのもの」とでもいう意味を持つも
のであった。(p.158)

→同一性、一体性が背景にあるデモクラシー
 生=政治という状況


■政治

政治とは自分の意図とは別に存在する「関係」として存在する不可避的なものでもある・・・。(p.170)


■公共性の実体化批判、アレント批判

公共性の現代的可能性を追求するために、われわれは公共性・・・がいかなる形であれ実体化(公共精神
、公共善など)されることを拒否しなければならない。もしそれが実体化されれば、そこには必ずといっ
てよいほど排除のメカニズムが作動し、公共性は支配のイデオロギーに転化してしまうであろう。・・・
例えばアレントの『人間の条件』は確かに魅力的だが、その「公的領域」への賛美は、アドルノのハイデ
ガー批判を援用していえば、常に「本来性という隠語」に堕する危険性がある。西欧の政治思想史でいえ
ば、古典古代ギリシャのポリスや中世のキリスト教的普遍共同体、近代の主権国家は、いずれも公共的価
値を何らかの形で実体化し、理想化し、異質なものを排除してきた。言い換えれば、それらはすべて、真
・善・美が一致しうる世界を前提としてきた。・・・そうした前提はもはや存在しない。(pp.214-215)

→公共性はあくまでも公論の空間として政治的意思形成の形式、その枠組み
 →合意を目指すが、合意は保証されていない(真理性もない)。
  異質なもの相互の、永続的な討論のプロセスとしての公共性。


  ⇔アレントってこういうこと言ってなかったけなとふと思う。後でまた調べる。


■人権、アレント

人権は、「人間が国家によって保証された権利をうしない現実に人権しか頼れなくなったその瞬間に崩れ
てしまった」のである。(p.236)


■国民の権利としての「人権」

人権が特定の社会における合意を源泉とする「国民の権利」として実定法化されるとき、社会の成員はこれ
らの人権の保障を請求する権利をもち、他の成員はその請求に応える義務を負う。社会の成員は権利を相互
に尊重する義務を負い、国家はそれらを実効化し、実現する責任を負う、それは社会的義務であるし法的責
任でもある。このように国民の権利は法的・社会的基盤を有しており、また国民国家によって担保されてい
るのである。(p.236)


■人権理念の失敗

人権にそのような基盤はない。だからこそ国籍を奪われ国民国家の外部へと放逐された人々の人権は、たと
え「不可侵不可譲な神聖な権利」であるとくりかえし述べられたとしても、具体的に保障される見込みはあ
まりない。人権にしか頼れなくなった人々が、まさにその人権を喪失してしまうという残酷な状態は、人権
国民国家のシステムの本質的要素としてくみ込まれたことの必然的な帰結である。(p.237)

→人権理念そのものの終焉ではない。終焉したのは1789年の人権宣言にもとずく古い人権理念。
(Kristeva 1988)