渡邊啓貴(編)(2002)『ヨーロッパ国際関係史−繁栄と凋落、そして再生−』有斐閣



一体性の解体から回復にいたるまでの歴史。



【本書の3つの柱】
『共属意識としての「ヨーロッパ」』
『西欧国家体系の実態と行動様式』
『階統的国際関係の構造』



第一次世界大戦までのヨーロッパ秩序
ウェストファリア体制(1641-)の下での微妙な各国間の関係を背景とする勢力均衡のロジックに支え
られた秩序が安定をもたらしてきた。
→歴史的安定要因
 ・3つ以上、または5つ以上の同等のパワーによって相対的なバランスを維持するような世界構造
 ・辺境地域の存在
  →致命的な衝突を回避しつつ、勢力拡大が図れる国際環境
 ・パワー間の大きな格差、不均衡の不在、指導者層の共通の価値観・了解の存在
 ・外交の国内的制約(民族主義イデオロギー)からの自由
 ・イギリスの大陸への非関与、バランサー的役割



■両大戦間期のヨーロッパ国際体系(pp.66-67)(ベルサイユ体制)
①最高議会は大国主義外交
②会議は敗戦諸国の犠牲の上に立った戦勝国の利害交渉の場であったこと
イデオロギー対立の萌芽
 →会議へのソ連代表の未招集
④安全保障体制の構築
 →ワシントン会議(主力艦の保有トン数制限)―ジュネーブ海軍軍縮会議(失敗)
  ―ロンドン軍縮会議(補助艦の保有トン数制限)



■ヨーロッパ統合への希望

第二次世界大戦終結→ヨーロッパ諸国の植民地の独立→ヨーロッパ諸国のパワーの低下


スエズ事件によりヨーロッパは自分の非力さを自覚→ヨーロッパの枠組みへの希望
                        →イギリスとフランスの対立


■東西2極体制という硬い枠の中に置かれた戦後ヨーロッパの国際政治

制度を共有する「中心」と、理念を共有し、制度の共有をめざす「周辺」が存在し、中心の周辺への拡大
を目標とする多層的なヨーロッパ統合の進展過程の原型が、この時代に形成されはじめた。(p.165)


・「ブレジネフ・ドクトリン」

個々の社会主義国に主権は存在するものの、それと「社会主義共同体」の全体利益が対立するときは、前
者は後者のために部分的に制限されることもやむおえない(p.168)


ソ連の没落
80年代からの経済状態の悪化
―労働者の生産性の低下
 ハイテクの研究・開発の遅れ
 官僚制の硬直化・非能率性
 軍拡による軍事コストの増大


ゴルバチョフの改革(ペレストロイカグラスノスチ)の結果

2つの「パンドラの箱」を順次、開くことになった。最初に開いたのは東欧諸国の自由化・民主化であり、
次いでソ連邦各共和国の民族問題であった。前者はソ連・東欧ブロックの解体をもたらし、後者はソ連
のものの解体をもたらした。(p.238)


NATOの東方拡大推進論

NATO自体の機能的拡大を前提とし、NATOが中・東欧諸国を取り込むことでそれら諸国の民主主義を下支え
しながらヨーロッパ統合を推進し、同時に地域紛争、大規模組織犯罪、国際テロなど「新しい脅威」に積
極的に取り組むことでグローバルな安全保障に貢献しうる。(pp.294-295)

→2001年の9・11との関連性