原彬久(編)(2002)『国際関係学講義』有斐閣


国際関係学講義

国際関係学講義


教科書。国際関係理論、歴史から外交、政策まで幅広く紹介する。



■行動科学的アプローチ(pp.15-17)


科学的な方法と体系の秩序に対する反省から出発。(1950-1960年代)
→個人の価値観や先入観から解放された客観的方法によって、国際関係の経験的な諸事実を整理、法則化する
 ことを目指す。

 ・現実を数量的に考察〜「事実の客観性」を追求
  ⇔現実そのものに内在する質的な意味を量に還元してしまう危険性

 ・ほかの学問分野から数多くの分析方法の導入
  ―システム論、ゲーム理論etc


→脱行動科学の時代(1970年代)
 D・イーストン




■3つの主要理論(p.23-)

新現実主義
 ―国際相互依存による「国家中心主義批判」に対する反論の理論化
  ―K・N・ウォルツの勢力均衡論
   R・ギルピンの覇権安定論
   ⇒国際システムのアナーキー性、国家の能力・パワーあるいは安全保障の至高性などを前提。
    合理的国家行動観に立って、それを拘束し決定づけるのは、アナーキーのもとでは国際システム
    の構造である。構造主義


新自由主義制度論
 ―R・O・コヘーンとJ・S・ナイの国際レジーム論
  ―国際制度(?政府間国際組織?非政府間国際組織?非公式の国際規範?レジーム)が相互理解のため
   の適切な情報の提供あるいは倫理的関心の惹気などの機能を果たすことによって、国家が単独では
   達成不可能な「利己的利益の共通化」、つまり国家間の協力の契機を与える存在であるとみなし、
   これらを国際制度という概念にまとめた。
 ―クラヅナーの定義(1983)
  「国際関係のある特定のエリアにおいてアクターの期待が収斂する一連の暗黙的・明示的な原則、規
  範、ルールおよび政策決定手続き」


●ポスト現実主義
 ―・現代は人々の安全欠如、戦争と暴力あるいは貧困が全世界的に蔓延する国際危機の時代であるとい
   う認識
  ・国家を「所与のもの」あるいは「不可侵の聖域」とみなす国家観に立って現実の国際関係を現状肯
   定的に説明しようとする伝統的な国際関係理論によっては、この危機の本質的理解、解決は不可能
  ・支配的な「正統理論」への挑戦
  ―R・W・コックス、R・K・アシュレイの批判国際理論
   ・・・4つの批判国際理論
      ―・批判的再構築アプローチ(A・リンクラター)
       ・構成主義(F・クラトチウィル)
       ・地球政治論
        ―・新構造主義(I・ウォーラーステイン)
         ・史的唯物論(R・W・コックス、R・P・パラン、S・ギル)
       ・ポストモダニズム(R・B・J・ウォーカー)
  ―地球市民社会論(R・A・フォーク)
   トランスナショナルな社会勢力によって支えられ、地域と地球全体、国家と個人とを結びつける
   「地球政治体」が必要、強化された国際連合がその中核的指導力を担うべき。
  ―「国家-社会関係」アプローチ(M・ショー、F・ハリディ)
   社会学、歴史社会アプローチを国家の分析に導入、国家のインタレストとパワーはもとより、国
   際システムの特徴・機能などをも、国内社会的諸力・集団とそれらとの相関関係のなかでとらえ
   る。


■冷戦

 両者の対立が武力による戦い、つまり熱戦に発展しなかったのは、あるいは核兵器の存在に負っていた
のかもしれない。1949年9月にソ連が原爆の保有を明らかにしたことでアメリカの原爆独占は崩れた。ソ連
が原爆を保有したことで、もし両者間に武力衝突が起これば、核兵器による大量破壊がもたらされ、双方
に多大な犠牲が強いられることになる。一方による核兵器の使用が相手からの核による報復を招く恐れが
あることから、両者の対立が武力行使に移行しにくくなったのである(核抑止論)。こうして国家体制の基
本となるイデオロギーの違いと核兵器の存在が、米ソ間の対立の溶解を困難にするとともに、他方では武
力による解決をも躊躇せざるをえない状況をつくりだしたのである。そのため、両者は武力行使以外のあ
らゆる方法と手段を用いて、自国の利益の追求を図ることになる。この米ソ間の冷戦は当然、同じイデオ
ロギーを信奉する諸国にもおよんで東西2つの陣営間の対立にまで拡大していった。その結果、相手陣営の
1国に対する攻撃は陣営全体を巻き込んだ世界戦争となる可能性があるために、第2次大戦後これら両陣営の
国家同士の戦争もまた発生しにくい状況が生まれたのである。(pp.66-67)

→核による抑止のための関係凍結状態
 武力以外の政治影響力行使方法の開発
 恐怖による平和


■経済的相互依存と国家

①国家が経済的摩擦の管理、調整に果たす役割が高まった。
 →相互依存関係の進展による、国家の力の再認識
②経済的交流が増大し、国家にとって自国の政策に対する自律性を維持することが難しくなってきた。
 →国家内政策が他の国家に影響力を及ぼす。福祉国家の限界。


貿易摩擦(pp.239-241)

テクノ・ナショナリズム
―・半導体摩擦(1986)
 ・FSX問題(1988)
→・「経済安全保障」という新しい概念の出現と考慮の必要性
 ・摩擦の深化(伝統、文化の次元)
  →日本異質論の台頭
 ⇒構造協議(SII)(1988-)
  ―大店法改正、独占禁止法の強化
  ⇒クリントン政権の包括経済協議(1993-)


■吉田ドクトリンの限界(pp.242-243)

①日米関係における表と裏の違いについての弊害
 ―表面的にはアメリカの要請を受け入れる姿勢を見せながら、その実、保護主義的・非協力的な姿勢
  を執り続けた。
  日本の経済外交はアメリカの寛容を前提として成立してきた。
②経済主義の徹底した追及により、それが日本政府そのものの政治基盤を揺るがすようになってきたこと。
 ―防衛負担の軽減、経済発展への資源投入という合理的政策が吉田ドクトリンであった。イデオロギー
  対立が明確であった時代(東西冷戦)には多数を占めていた自民党は、野党の激しい反対があっても
  外交政策の実施には苦慮することは、「敵」が政府外に存在していたのでなかった。しかし、1970年
  代の米ソのデタントの進行以降、イデオロギー対立の緩和、貿易摩擦が恒常化した。ここでは国内政
  治状況は一変し、政府は「族議員」、官僚、財界などの勢力、内なる「敵」に立ち向かわなければな
  らなくなった。